稲作の起源と「米」の語源

数十年前、照葉樹林文化論が盛んだった頃、アジアの稲作文化の起源地は中国雲南省からインドのアッサム地方と言われていました。しかし、佐藤洋一郎氏や池橋宏氏の稲遺伝子研究の発展により、雲南起源説は否定され、長江中・下流域が稲作の起源地と見なされるようになりました。

「稲作の起源」(講談社選書メチエ)表紙画像 池橋氏は「稲作の起源」(講談社選書メチエ)で、

  • アジア・イネ(Oryza sativa)はジャポニカとインディカに分けられるが、単粒型がジャポニカ、長粒型がインディカという区別は正しくない。品種の区別はDNA型に基づくべきである。
  • DNA分析の結果、ジャポニカの祖先種は、Oryza rufipogon という現在東南アジアに見られる多年生のイネ科植物であり、インディカは、ジャポニカと様々な一年生野生種の混血である。
  • ジャポニカが本来は多年生であることは、稲刈りの後にひこばえが生えることからわかる。初期の栽培は、種籾を蒔くことによってではなく、タロイモなどの根菜類と同様に株分けによって行われたと推定される。
  • 温帯ジャポニカが水田で栽培され、熱帯ジャポニカは陸稲として畑で栽培されるという区別も適切ではない。比較的水が少なくても栽培できるように改良されたのが熱帯ジャポニカであって、熱帯ジャポニカを水田で栽培しても支障はない。

ということを主張しています。

「古代中国と倭族」(中公新書)表紙画像 文化人類学の鳥越憲一郎氏は、「古代中国と倭族」(中公新書)で、長江下流域(江南)に原住した稲作民を「倭族」という概念で捉え、現在雲南からアッサムに居住し、稲作を行うタイ・カダイ系語族は、数千年前に漢民族に圧迫されて江南から移住した倭族の一派であることを明らかにしています。もちろん「倭族」の別の一派が魏志倭人伝に言う「倭人」です。

以上のように、現在は長江中・下流域が稲の原生地であることが定説になっていて、実際に紀元前5000年〜4500年と推定される河姆渡文化の遺跡から大量の炭化米が発見され、紀元前7500年〜6100年と推定される彭頭山文化の諸遺跡からも籾殻が発見されています。

しかし、そうした江南の稲作文化に先立つ稲作は存在しなかったのでしょうか? 私は、約1万2千年前、ヴュルム氷期末に稲作が行われていたとしたら、現在の東シナ海の中央部が稲の祖先種の原生地ではないかと推定しています(下図)。また、ここは「東夷と中国語の起源」のページで書いた東夷の原住地とも重なります。

風仙による稲作の起源地

ヴュルム氷期には、北アメリカ大陸や北ヨーロッパは厚さ3000mもの巨大な氷床に覆われ、その結果、海水面が現在よりも100〜130m低下して現在の大陸棚の大部分は陸化していました。東シナ海も例外ではなく、現在の日本列島よりも広い平原が広がっていました。

  • 氷河期とはいえ、緯度的には九州南端〜沖縄列島と同じくらいであり、世界有数の暖流である黒潮が東岸を流れて、暖かく湿った空気を運んだため、現在の関東〜九州の平地程度には暖かく、降水にも恵まれていた。(ケッペンの気候区分では Cfa または Cfb だろうか?)
  • 長江他の河川が当時の狭い東シナ海に注いでいたので、河川交通にも便利であった。
  • 交易の際、黒潮をうまく利用すれば、日本列島の太平洋岸には意外に早く行けた。

以上のように、稲作文化が発達するための条件は揃っているので、あとは実際に大陸棚から遺跡が見つかるのを待つだけです。東シナ海の石油探査の時に発見されるかも知れません。


たわわに実った稲穂の写真 さて、次は「米」の語源です。

日本語には「米」の読み方は4つあります。音読みとして呉音の「マイ」、漢音の「ベイ」、訓読みとして「コメ」と「ヨネ」です。「ヨネ」という読み方は既に平安時代に古語扱いになっていたそうですが、「米田」「米川」「米山」「米沢」といった名字や地名、古めかしい女性名として残っています。

まず、「米」という字について手元の電子辞書カシオ XD-LP7300 の中日辞典を引くと、姓や長さの単位としてを別にして、

  1. (広く)もみ殻を取り去った穀類

となっていて、必ずしも「コメ」を意味しません。例えば上の中日辞典には、

  • 小米......(脱穀した)アワ
  • 高梁米....(脱穀した)コウリャン
  • 花生米....ピーナッツ
  • 包米......(方言で)トウモロコシ(内モンゴル自治区包頭市でも baomi と言います。)

という用例が載っていて、広義の「米 mi」は日本語の「実(み)」と同じ意味と言って良いくらいです。何らかの語源的繋がりがあるのかも知れません。

一方訓読みである「コメ」の語源についてネット検索すると、

  • 「籠める」の連用形から名詞化
  • 朝鮮語の醸造を意味する「コメン(コム)」の変形
  • ベトナム語の「コム」
  • タミル語の「クンマイ」

といった説が目立ちます。特に、国語学者の大野晋教授は、自身の日本語のタミル語起源説と絡めて、稲作がインド起源であることを主張しています。

しかし、私はそういった従来の説に対して、異説を唱えたいと思います。中国から伝わった作物なのだから、中国語に語源を求めるのが合理的だと思うのです。

私が考えているのは、「菰米(gumi)」或いは「谷米(gumi)」からの変化です。

「マコモ」の写真(ウィキペディアの「マコモ」の項目より) まず、「菰米」ですが、これは現代中国語ではイネの近縁種であるマコモの種子です。黒穂菌に寄生されて肥大したマコモの新芽は「マコモタケ」と言われる食材になりますが、黒穂菌に寄生されず、成育する土壌が肥えていればマコモ米がとれます

音韻的にも、「古」の現代中国語 Pinyin は「gu(グー)」ですから、中国語「gumi」←→日本語「コメ」の対応関係が存在しても辻褄は合います。いつの時代かマコモは「米」に「コメ」の地位を奪われて、「真菰(マコモ)」になってしまったのではないでしょうか?

「谷米」については、中日辞典には掲載されていませんが、「谷米」という単語がかつて中国のどこかで存在しても不思議ではありません。現在でこそ稲は広々とした水田で栽培されるのが一般的ですが、灌漑や排水が発達していなかった昔は、谷沿いの池や沼や三日月湖、或いは山間部から平野になる扇状地の湧水池で栽培されたに違いないという想像から来ています。また同音で、「穀米」という言葉があったかも知れません(現代中国語簡体字の「谷」は、「穀」の意味でも使われます)。ただ、「谷」の音読みが呉音、漢音とも「コク」であるので、「gu」という読み方が随代以前に既に中国の東岸で発生してるかどうかが鍵となります。

最後に「ヨネ」についてですが、私は「谷稔」が語源ではないかと考えています。

もちろん現代中国語 Pinyin で「谷」は普通「gu」と読み、「稔」は「ren」と読みます。しかし、

  • 「吐谷渾(トヨクコン)」という古代の遊牧民族国家名の Pinyin が「Tuyuhun」であるように、「谷」には「yu」という異読もある。
  • 音読みで「ヨク」と読む「欲」や「浴」の Pinyin は「yu」である。
  • 「念」や「捻」は Pinyin で「nian」であるから、「稔」を「nian」と読んだ時代・地方があっても不思議はない。

と言えます。

「ん―日本語最後の謎に挑む―」表紙画像 更に、山口謠司氏は、新潮新書「ん―日本語最後の謎に挑む―」 で、平安時代の中期過ぎにようやく「n」「ng」「m」という撥音を「ん」と表記するようになる前は、これらの音を表記するひらがな・カタカナがなかったこと、そして「ん」が発明された後も「ん」を表記するのが下品とされた時代があったことを明らかにしています。

ということで、「ヨネ」は「谷の実り=*谷稔 yunian」が訛ったものではないかというのが私の考えです。