観光羊牧場 2006/08

2006年8月下旬、病床のお義父さんが危篤である知らせで7月末に帰国した(結局臨終に間に合わなかった)家内に合流したが、そんな8月26日、「お兄さん」の誘いで観光羊牧場に行ってモンゴル風羊肉料理を食べることになった。

同行は、家内、お義母さん、義妹一家、家内の友人2人、お兄さんの友人李さん。私以外の男3人が交代で運転。私も運転するかと誘われたけれども、国際ライセンスは持っていないし、初めて左ハンドルの、しかも図体の大きい1BOXカーを慣れない土地で運転したら事故の元なので断った。

帰りには、呼和浩特市南部を通るルートを利用したので、玉泉区にある王昭君(Wang ZhaoJun)の墓が右手に見えた。王昭君とは、前漢元帝の宮廷女官であったが、絵師に賄賂を贈らなかったために肖像画を不美人に描かれ、匈奴の首長に嫁ぐ羽目になったという伝説(史実であるかどうかは不明)を持つ美女である。


内モンゴル自治区政府のある呼和浩特(フホホト)市と北京を結ぶ京呼高速の楡林停車区(パーキングエリア)。

「公厠」はトイレ、「餐庁」はレストランという意味。

朝だったのでレストランには縁がなかったが、問題だったのがトイレ。「中国語不定期日記」に書いたように、

  • とにかく汚い。
  • アンモニア臭がきつい。
  • トイレットペーパーがない。

と、昭和30年代レベルであった。あれから5年、進歩しているだろうか?

呼和浩特市を過ぎてからの道順はよくわからないが、烏蘭察布(WuLanChaBu)市郊外(察哈爾右翼中旗)の観光羊牧場到着。このページを作るためにWeb検索して、ようやくここが輝騰錫勒(Hui-Deng-Xi-Le)草原旅游区という名前だとわかった。

写真ではわからないが、馬糞がたくさん落ちていた。

義妹一家、家内(春香)、義母、小生。
姪の佳恵はこの時中学生だったが、今や大学受験生である。

左端は豊海珍、右端が張静。家内の友人である。

もうすぐ屠殺される運命の羊たち。

草地を背景とした義妹夫婦。

ゲル(モンゴル式移動家屋)とその内部。「ゲル」は中国語では「包(bao)」というらしい。寝具もあるので、夜には宿坊になるのだろう。

ゲルの内部は案外広い。寝そべっているのは、左から張静、豊海珍、義母。

乗馬初体験の小生であったが、落馬せず、悲鳴を上げることもなく、馬丁に牽かれて散歩コース途中の下馬場所まで行けたので、面目を保てた。

馬がもっと大きければ写り映えが良かったのだが....(^^;;;

左から張静、お兄さん、李さん、豊海珍。

散歩コースももうすぐ終わり。前方に食事が待っているゲルが立ち並んでいるのが見える。

いよいよお待ちかねのモンゴル風羊料理。飲み物としては[女乃]茶(naicha)が出された。一種のミルクティーであるが、少し塩っぱい。モンゴル高原の乾燥した気候では、汗と共に塩分が失われるので、こんな形で補給する必要があるのだろう。果物は持参のスイカ(西瓜 xigua)と桃(桃子 taozi)。

小生は義妹が寄越す肉を見境もなく食べたため、食べ過ぎてお腹を壊す羽目になった。

豊海珍が食べているのは、一体どこの部位だろう?

観光牧場から少し戻った所にあるモンゴル帝国時代の遺跡(?)と風力発電所の複合観光スポット。

←ゲルが四輪の台車に載っている。

岩に書かれているのはこの旅游区の名称(モンゴル語からの音訳)「輝騰錫勒(Hui-Deng-Xi-Le)」。↓