風仙洞

甘木と桜井~地名比定

最終更新:2024/06/27
初出:2022/05/02

筑紫平野の朝倉市甘木地域と奈良盆地周辺の地名の間には対応関係が見られる。邪馬台国東遷説では、邪馬台国勢力が北九州から奈良盆地に東遷した証拠のひとつとして挙げられている。

確かに地名の対応関係が認められる。しかし、邪馬台国東遷説の旗手である安本美典氏が使用する地図(「邪馬台国の会」サイト掲載)に記載された地名の比定や位置については、いくつか納得がいかない点がある。また、簡略で平面的であることも私にとって不満である。

そこで最近いくつかのページで行ったように Google Maps Static API を使ってマーカー付の地形図を作成し、安本氏の地図と比較してみた。地名リスト右の方の数字は緯度と経度である。なお、山名については濃い灰色のマーカーを付けた。

「邪馬台国の会」Webサイト掲載の夜須町周辺地図
Google Maps Static API による
筑紫平野・甘木地域地形図
  • この地図は左右スクロール可能です。

比較するといくつも疑問点がある。

次は奈良盆地(特に桜井市)周辺である。

「邪馬台国の会」Webサイト掲載の
大和郷周辺地図
Google Maps Static API による
奈良盆地周辺地形図
  • この地図は左右スクロール可能です。
同上 奈良盆地南部を拡大
  • この地図は左右スクロール可能です。

筑紫平野・甘木周辺よりも奈良盆地周辺の方が地名を探しやすかったが、それでも疑問点がいくつかあった。

緯度・経度で位置を示したので、今後は検証しやすくなるであろう。もし、私の比定が町名・大字の範囲以上に間違っている場合は、メールにてご連絡頂ければ幸いである。

なお、奈良県南西部から南西に流れる吉野川~紀ノ川沿いに和歌山県の伊都郡那賀郡がある。魏志倭人伝が北九州にあったと伝える奴国(中国語上古音での「奴」の発音は「nag」)や伊都国を連想させる。記紀の神武東征記事には何も言及されていないが、その後の大和政権確立の過程で吉野川~紀ノ川が交通手段として活用されたのかも知れない。