漢字の余剰性
更新:2024/02/27|作成:2015/04/05
日本での漢字の読み方を簡単にまとめると次のようになる。
- 音読み
- 呉音
- 漢音
- 唐宋音
- その他
- 訓読み
- 慣用読み
音読みの中で「呉音」は、南北朝時代の南朝の発音を反映している(中国北部の北朝では異民族支配が続いた)。河野六郎氏の研究によると、呉音は重層的であり、「慣用読み」の一部と呉音の間に明確な境界がないらしい。
「漢音」は隋・唐時代の都である長安の発音を反映している。「唐宋音」は、呉音や漢音に比べるとずっと少ないが、北宋の都である開封、南宋の都である杭州(当時は「臨安」)の発音を反映している。中国の時代区分はその後、元→明→清→近代となるが、これらの時代の発音である近代音は、音読みに対してほとんど影響しない。
一方、周~清の各時代の首都は、短期間で遷都したものを除いて次のようになる。
- 西周:①西安(鎬京)
- 東周:②洛陽
- 秦:①'咸陽
- 前漢~新:①西安(長安)
- 後漢~魏~西晋:②洛陽
- 東晋~南朝(宋~斉~梁~陳):③南京(建業・建康)
- 隋~唐:①西安(長安)
- 北宋:④開封
- 南宋:⑤杭州(=臨安)
- 元~明~清:⑥北京(=大都。明朝初期だけ南京)
一国の標準語は、通常首都の方言が元になっている。法則と言っても良いだろう。例えば現代日本語の標準語は、東京(江戸)方言を改良したものであり、現代中国語の標準語(普通話)は、北方方言のひとつである北京語の発音をベースに、近代文学の語彙や表現を取り入れて作られたものである。近代以前の中国は、民衆は土着の方言を話し、支配階級は官話系方言を話すという二重構造になっていた。
異民族の圧迫を避けたり、王朝が変わったりすると遷都が行われるが、南朝の南京から中国統一王朝隋の長安(現在の西安)への遷都にあたっては、言語的な大混乱が発生したことであろう。混乱は日本にも影響し、朝廷はそれまで学んでいた呉音から長安の漢音への転換を号令したが、仏教界を中心とする抵抗は激しく、結局呉音と漢音は共存することになった。
さて、呉音と漢音、普通話を比較すると、「中国語の3大センター」のページの最後のあたりで提唱したように、NJR型の漢字とMBW型の漢字があることがわかる。
NJR型の例は、
- 人(にん、じん、ren)
- 日(にち、じつ、ri)
- 然(ねん、ぜん、ran)
- 如(にょ、じょ、ru)
- 若(にゃ、じゃく、ruo)
- 弱(にゃく、じゃく、ruo)
- 入(にゅう、じゅう、ru)
- 軟(なん、ぜん、ruan)
など。児(に、じ、er)もNJR型と言って良いだろう。
MBW型の例は、
- 未(み、び、wei)
- 尾(み、び、wei)
- 微(み、び、wei)
- 味(み、び、wei)
- 物(もつ、ぶつ、wu)
- 武(む、ぶ、wu)
- 文(もん、ぶん、wen)
- 万(まん、ばん、wan)
など。
上記は、ひとつひとつの漢字の読み方が呉音、漢音、普通話で明確なパターンを示す例であるが、普通話という体系の中で類語の発音が同じ、或いは類似している場合もある。その代表例が「中国語の否定語『群』」のページで示した「不 否 非 没 無 勿 毋 莫 漠 黙 亡」といった否定語群である。
- 不|呉:フ、漢:フツ、慣:フ・ブ、普:bù、
pɪuət → pɪuət → pu → pu - 否|呉:フ、漢:フウ、慣:ヒ、普:fǒu/pǐ、
- pɪuəg → pɪuə → fəu → fəu
- bɪuəg → bɪuəi → pi → p'i
- 非|呉:ヒ、漢:ヒ、普:fēi、
pɪuər → pɪuəi → fəi → fəi - 没|呉:モツ、漢:ボツ、普:méi、
muət → muət(mbuət) → muo → mo - 勿(否定命令)|呉:モチ、漢:ブツ、普:wù、
mɪuət → mɪuət(mbɪuət) → wu → u - 無|呉:ム、漢:バク、普:wú、
mɪuag → (mɪuo) → wu → u - 毋(否定命令)|呉:ム、漢:ブ、普:wú、
mɪuag → (mɪuo) →mɪu(mbɪu) → wu → u - 莫|呉:モ・マク、漢:モ・バク、普:mò、
珍しくも学研「新漢和大字典(普及版)」に発音変化の記載がない。「漠」と同じだろうか? - 漠(水がない)|呉:マク、漢:バク、普:mò、
mak → mak(mbak) → mo → mo - 黙(言葉がない)|呉:モク、漢:ボク、普:mò、
mək → mək(mbək) → mo → mo - 亡(命がない)|呉:モウ(マウ)、漢:ボウ(バウ)、普:wáng、
mɪuaŋ → mɪuaŋ(mbɪuaŋ) → waŋ → uaŋ
いつもの通り資料は次の3つ。
- 岩波「広辞苑(第5版)」(最新版は第6版)
- 小学館「日中辞典(第2版)」(2016/11 に第3版発行)
- 学研「新漢和大字典(普及版)」
の3点。1.と 2.は、今となっては化石とも言える電子辞書カシオ WD-LP7300 に収録されているものである。
さて、これらの否定語を比較すると、
- これら否定語の上古音(周代~漢代の中国語発音)は、/m/ 或いは /p/ の声母で始まり、韻尾の多様性は少ない。
- 上古音では存在していた語尾の子音を中世に失い、母音、或いは /ŋ/ で終わるようになった。
- 現代音での子音は、/m/ や /u(wu,w)/ が多いが、/f/ /p/ /b/ のこともある。唇歯音/f/の発生は新しく、無声両唇摩擦音/ɸ/が変化したと言われる。/u(wu,w)/~/m/~/b/~/p/~/ɸ/~/f/という順に並べ替えれば、両唇音を中心に分布する。
ことがわかる。
否定語群の場合は、単独の漢字ではなく、語群としてMBW型を構成しているようである。近代化以前、人口の大部分を占める農民、職人、兵士が文盲だったことを考えると、民衆はこれらの漢字をずっと少ない数でしか認識しなかったであろう。更には遠い昔、これらは単一の単語だったのではないだろうか?
似た意味の漢字が似た発音を持つ例は他にも色々ある。
- 仙(せん、xian)・聖(せい、xian)・神(しん、shen)
- 先(せん、jian)・前(ぜん、qian)・尖(せん、jian)
- 稔(ねん、nian)・年(ねん、nian)
- 選(せん、xuan)・撰(せん、zhuan)・薦(せん、jian)
- 様(よう、yang)・像(ぞう、xiang)・状(じょう、zhuang)・形(ぎょう、けい、xing)・相(そう、xiang)・容(よう、rong)
- 似(じ、shi/si)・仮(か、jia)・偽(ぎ、wei)
- 上(じょう、shang)・乗(じょう、cheng)・昇(しょう、sheng)
- 娘(じょう、niang)・嬢(じょう、niang)
- 剰(じょう、sheng)・冗(じょう、rong)
- 家(か、け、jia)・屋(おく、wu)・舎(しゃ、じゃ、she)
- 於(お、う、yu、「お」)・于(yu)
- 巻(かん、juan)・旋(せん、xuan)
- 良(りょう、liang、「ら」)・亮(りょう、liang)
- 園(えん、yuan)・苑(えん、yuan)・院(いん、yuan)
- 悪(あく、お、e/wu)・汚(お、wu)
- 偉(い、wei)・威(い、wei)
- 違(い、wei)・異(い、yi)
- 也(や、yi)・亦(えき、やく、yi)・又(ゆう、う、you)
- 行(こう、ぎょう、あん、hang/heng/xing)・業(ぎょう、ごう、ye)・幹(かん、gan)※「(仕事を)する」という意味
- 代(だい、たい、dai)・替(たい、ti)
- 剛(こう、ごう、gang)・堅(けん、jian)・健(けん、jian)・康(こう、kang)
- 喜(き、xi)・怡(い、yi)
- 見(けん、げん、jian)・看(かん、kan)
- 郷(きょう、ごう、xiang)・県/縣(けん、xian)
こういった現象は、恐らく次のようなことを示してるのだろう。
- 元々はひとつだった言葉=発音が、中国大陸各地で地方色をもった発音だけでなく「漢字」という形を獲得した。特に有力だったのは、中原、江南、関中盆地。
- 異民族による支配も含めた戦乱と統一王朝樹立の結果、漢字が統一されたり、統一されずに発音やニュアンスが若干異なる別々の漢字として共存するようになった。
なお、中国語についての雑学を書いた本によると、四川方言では、語尾の /ŋ/ は /n/ となってしまうらしい。例えば「青菜(qíngcài)」と言おうとしても「芹菜(qíncài)」と同じ発音になってしまうのである。明代末に四川盆地では大虐殺が行われて元の300万人以上の住民のほとんどが滅んでしまい、湖北・湖南・広東省から数百万人の移民が行われたという記録(→ウィキペディア「張献忠」の項目)があるので、故郷の方言にそういう特徴があるのであろう。