稲作のゆりかご上山遺跡
作成:2023/12/01
中国の先史文化として、仰韶文化、龍山文化、河姆渡文化だけでなく、玉蟾岩文化、仙人頭・吊桶環遺跡遺跡が有名になってきたが、2000年に発見された上山遺跡は、発見が新しいこともあってその重要性にも拘わらずまだウィキペディアの項目がない。そこで百度百科の「上山文化」の項目の翻訳に多少情報を加えて、私自ら紹介ページを書くことにした。
しかし、私は中国語も考古学も素人なので、《▶ 「百度百科」の原文》をクリックすると中国語の原文が現れるようにしておいた――誤訳がなければ良いのだが......(^^;;;
なお、翻訳元としたのは 2023/11/29 現在の百度百科の記事である。また、日本語で書かれた関連ページとしては次の2つがある。
- 「稲作の起源は中国の上山文化 専門家が確認」(AFPBBの記事)
- 「約1万年前の中国上山文化は世界稲作文化の発祥に―中国メディア」(レコード・チャイナの記事)
「上山文化」(百度百科より)
上山遺跡は銭塘江支流の浙江省金華市浦陽江上流の浦江県黄宅鎮内にあり、既に全国重点文化財保護単位として公布されている。
浙江省浦江県の上山遺跡は、ひとつの新発見遺跡群を代表しており、また、原始的な新石器時代文化類型でもあるので、このユニークな地域文化は"上山文化"という命名に値する。今から約11,000~8,500年前、浙江省、ないしは中国東南地区全体が最早期の新石器時代文化であった。[1]
「百度百科」の原文
上山遗址位于钱塘江支流浙江省金华市浦阳江上游的浦江县黄宅镇境内,已被公布为全国重点文物保护单位。
浙江浦江上山遗址,代表了一种新发现的、更为原始的新石器时代文化类型,这种新颖的地域文化可以命名为“上山文化”。距今约11000到8500年,是浙江乃至整个中国东南地区年代最早的新石器时代文化。 [1]
遺跡の簡易紹介
浙江省金華市浦江県黄宅鎮の渠南村、渠北村と三友村の間に、有名な早期新石器時代遺跡――上山遺跡――が見つかった。上山遺跡は中国長江下流及び東南沿海地区で今までに最も発見年代の早い新石器時代遺跡であり、今から11,000~9,000年前に遡る。
上山遺跡文化は、長江下流域及び付近で既に発見されている新石器時代遺跡と異なり、大口盆、平底盤、双耳罐に典型として代表される陶器群を含んでいて、原始的な新石器時代文化類型を成す。
2006年、この新発見の考古学文化は"上山文化"と命名された。[5]
「百度百科」の原文
在浙江省金华市浦江县黄宅镇渠南、渠北和三友村之间,发现了著名的早期新石器时代遗址——上山遗址。上山遗址是中国长江下游及东南沿海地区迄今发现的年代最早的新石器时代遗址,距今11000~9000年。
上山遗址文化内涵新颖独特,以大口盆、平底盘、双耳罐为典型代表的陶器群不同于长江下游及附近地区以往发现的其它新石器时代遗址,代表了一种新发现的、更为原始的新石器时代文化类型。
2006年,这种新发现的考古学文化命名为“上山文化”。 [5]
考古発見
上山文化遺跡には豊かで馴化の特徴を持つ稲遺物が保存されており、上山人が既に稲の食物としての属性を認識していただけでなく、水稲を耕作する初歩的な技術を掌握していたことを表している。考古学者は上山遺跡で欠損のない炭化米を1粒発見したが、その長さは 3.732mm、幅は 1.667mm、厚さ 1.723mm、縦横比は 2.239 であって、馴化初級段階の原始的な栽培稲に属する。
研究員は、プラント・オパールの分析により、上山文化の籾が人工馴化を受けていることを実証した。プラント・オパールは、植物の死後に分解を始め、拡散して土層の一成分となるが、岩石や土壌中では相当長い時間にわたって保存されることがある。プラント・オパールの形態は、植物ごと、部位ごとに異なり、イネ属のプラント・オパールは扇形を呈する。研究者の間では、野生イネ扇形プラント・オパールの半円形側面にある魚鱗状紋様の数は一般に9よりも少ないが、栽培イネでは一般に8~14であると認められている。上山文化時代の扇形紋様が9以上ある水稲プラント・オパールの割合は 15% に達する。これは上山人が既に水稲の馴化を開始していたことを十分説明する。[2]
彼らの飲食構成に占めるコメの割合はあまり大きくないものの、早くも人々が野生水稲の馴化を試みていた証拠が出現したのである。野生イネは伝播種子であって、穀粒は極めて脱落しやすいものの、人工馴化された水稲は穀物収穫を保証し、その穀粒は相対的に脱落しにくい。
上山文化時代、人々は水稲馴化に関して初期段階に留まり、異なる遺跡中から出土する野生イネの割合は大きくなり、水稲の野生的特徴は更に明らかとなった。しかしながら、上山文化の古人が銭塘江流域最古の水稲栽培群体であることは否定できない。[3]
「百度百科」の原文
上山文化遗址中保存了丰富的、具有驯化特征的稻遗存,表明上山人已经认识稻的食物属性,并初步掌握了耕种水稻的技术。考古学者在上山遗址发现了1粒完整的炭化稻米,长 3.732 毫米、宽 1.667 毫米、厚 1.723 毫米,长宽比值是 2.239,属于驯化初级阶段的原始栽培稻。
研究人员通过对水稻植硅体的分析也证实了上山文化的稻谷是经过人工驯化。植硅体是植物死亡并分解后,扩散成为土层中的一种成分,它可以在岩石和土壤中保存相当长的一段时间。不同植物和植物不同部位的植硅体形态各不相同,而稻属植物的植硅体呈现为扇形。研究者认为,野生稻扇型植硅体半圆形侧面的鱼鳞状纹饰一般少于9个,而栽培稻一般8~14个。上山文化时期大于9的水稻扇形植硅体数量达到15%,这充分说明上山人已经开始驯化水稻了。 [2]
尽管稻米在他们的饮食结构中所占比例并不是很大,但也出现了早期人们试图驯化野生水稻的证据。野生稻为了传播种子,谷粒极易脱落,而人工驯化的水稻为了保证谷物收获,其谷粒会相对不易脱落。
上山文化时期,人们对水稻的驯化尚在初期阶段,不同遗址中出土的野生稻比例更大,水稻野生特征也更为明显。但不可否认的是,上山文化的先民是迄今为止钱塘江流域最早种植水稻的群体。 [3]
現存遺跡
- 上山遺跡(上山遗址)
- 小黄山遺跡(小黄山遗址)
- 青碓遺跡(青碓遗址)
- 荷花山遺跡(荷花山遗址)
- 下庫遺跡(下库遗址)
- 青陽山遺跡(青阳山遗址)
- 山下周遺跡(山下周遗址)
- 大公山遺跡(大公山遗址)
- 湖西遺跡(湖西遗址)
- 廟山遺跡(庙山遗址)
- 蓭山遺跡(蓭山遗址)
- 長城里遺跡(长城里遗址)
- 長田遺跡(长田遗址)
- 太婆山遺跡(太婆山遗址)
- 橋頭遺跡(桥头遗址)
- 老鷹山遺跡(老鹰山遗址)
- 下湯遺跡(下汤遗址)
- 峙山頭遺跡(峙山头遗址)
- 三潭山遺跡(三潭山遗址)
上山文化の早期、遺跡は銭塘江上流の浦陽江、永康江――武義江流域に分布したが、上山文化中期、晩期には、遺跡は西部に向かっては衢江に拡散し、北や東に向かっては曹娥江、霊江等の流域に拡散した。[4]
2005年に嵊州小黄山遺跡から、似通った類型の文化遺物が見つかったが、"上山"下層文化類型が孤立的ではないことの証明となり、少なからぬ専門家がこの種の新発見考古学文化を"上山文化"と命名すべしと認めた。
今までに上山文化の遺跡は既に19箇所見つかっているが、それらは銭塘江及び附近の区域に分布する。考古学会はこの有史前文化を上山文化と命名した。
「百度百科」の原文
上山文化早期,遗址分布于钱塘江上游的浦阳江、永康江——武义江流域;而到了上山文化中、晚期,遗址点向西部扩散到衢江,向北、向东扩散到曹娥江、灵江等流域。 [4]
在2005年,嵊州小黄山遗址发现了相同类型的文化遗存,证明“上山”下层文化类型不是孤立的,不少专家认为这种新发现的考古学文化可以命名为“上山文化”。
迄今上山文化遗址已经发现了19处,它们分布在钱塘江及附近区域,考古学界将这一史前文化定名为上山文化。 [3]
- 項目使用画像
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参考資料
- 陈星灿:上山文化是国内稻作农业起源地.人民网 [引用日期2022-06-11]
- 婺州谣︱上山文化,为何被称为中华文明“启明星”.浙江日报.2022-11-28 [引用日期2023-04-18]
- 万年浙江,从这里开始——上山文化考古成果展.浙江省博物馆.2021-01-15 [引用日期2023-06-02]
- “上山文化”:这个万年前的故事值得细看.浙江省文物局.2022-09-27 [引用日期2023-06-02]
- 上山遗址.浦江县人民政府.2015-05-04 [引用日期2023-06-02]
上山遺跡の地図上の位置
中国の先史文化
時期 | C:長江流域 | H:黄河流域 |
---|---|---|
1 | 玉蟾岩文化/上山文化 | 該当無し |
2 | 彭頭山文化 | 裴李崗文化/磁山文化/老官台文化/後李文化 |
3 | 大渓文化/河姆渡文化/馬家浜文化/崧沢文化 | 仰韶文化/北辛文化 |
4 | 屈家嶺文化/石家河文化/良渚文化/宝墩文化 | 龍山文化/大汶口文化/馬家窯文化/斉家文化 |
5 | 馬橋文化/三星堆文化/十二橋金沙文化 | 二里頭文化(夏?)/二里岡文化(商?)/西周・春秋・戦国 |
6 | 秦/前漢/新/後漢 | |
三国(魏・呉・蜀)/晋/十六国 |