風仙洞

中国語 今・昔

作成:2023/06/08

目次

現在の中国語

シナ・チベット語族
  1. シナ語派
    • シナ語系
    • タイ・ガダイ語系
    • ミャオ・ヤオ語系
  2. チベット・ビルマ語派
    • チベット語派
    • ビルマ語派

中国語は、シナ・チベット語族に属する言語である。現在、中国の14億の人口の約95%が使用する。巨大な言語であるため、内部の差異は通常の「語派」級である。かつてはタイ・ガダイ語やミャオ・ヤオ語とシナ語派を形成すると言われていたが、現在は否定されている。

現代の中国語は、東北地方(旧満州)から南西の雲南にかけて標準語に近い北方語が広がり、長江流域よりも南の南東部にいくつもの有力方言が分布する。

中国語方言の分布
中国語の方言
  1. 北方(官話方言)
    1. 華北東北方言(北京官話 、東北官話、冀魯官話、膠遼官話)
    2. 西北方言(中原官話、蘭銀官話)
    3. 西南方言(西南官話)
    4. 江淮方言(江淮官話、南京官話
  2. 呉(上海語、蘇州語など。)
  3. えつ(広東語)
  4. びん
    1. 閩北語
    2. 閩東語
    3. 閩南語(台湾語)
    4. 閩中語
    5. 莆仙語
  5. しょう(長沙語など)
  6. 客家はっか
  7. かん(南昌語など。客家語と近い。)
  8. しん - 七大方言では北方語に属する。
  9. - 七大方言では呉語に属する。
  10. 平話へいわ - 七大方言では粤語に属する。
  • 分類はウィキペディアの項目「中国語」に掲載された情報による。
  • 七大方言、十大方言という時の「方言」は、ヨーロッパでならば「語派」や「言語」に相当するような内部差異が存在する。

なお、東北地方や内モンゴル自治区、青海省、チベット自治区、新疆ウイグル自治区、貴州省、雲南省、広東省、広西壮族自治区は本来の領域ではない。長江流域でも既にやや奥まった地域では少数民族が居住する地域があり、一山越えれば言葉が通じない状況がある。下の聖山の分布地図が参考となろう。

Google Maps Static API による中国の五岳と仏教以前からの聖山
  • 地図は Google Maps Static API で作成し、円・楕円と文字を重ねた。
五岳
  • E:泰山(Tàishān)
  • S:衡山こうざん(Héngshān)
  • C:嵩山すうざん(Sōngshān)
  • W:華山(Huáshān)
  • N:恒山(Héngshān)
五鎮
  • G:沂山ぎさん(Yíshān)
  • U:呉山(Wúshān)
  • K:霍山かくざん(Huòshān)
  • H:会稽山かいけいさん(Huìjīshān)
  • I:医巫閭山いふりょざん(Yīwūlǘshān)
その他の山
  • F:五台山ごだいさん(Wǔtáishān)
  • O:峨眉山がびざん(Éméishān)
  • Y:黄山(Huángshān)
  • Q:岐山きざん(Qíshān)
伝説の古戦場
  • T:涿鹿たくろく(Zhuōlù)
  • B:阪泉ばんせん(Bǎnquán)

さて、現代中国語(標準語である「普通話」)の一般的に認識されている特徴は、次の通りである。

  • 言語類型として孤立語

    格、性、単複、時制による語形変化がない。

  • 語順が SVO である。

    語順が決まっていることは、孤立語であることと表裏一体である。屈折により主語、目的語が位置にかかわらず明確であれば、語順が一定である必要はない。

  • 動詞の変化による時制(現在・過去・未来)がない。

    必要に応じて助詞、副詞句で時間を表現する。英語の現在完了に似た「態」を常用する。

  • 声調言語である(四声+軽声)

    中国語の音節は日本語よりも多いが、現代中国語は二重子音、三重子音が無く、語尾の子音も n/ng だけと、印欧語族諸言語よりも少ないので、少なさを補うために声調が発達したのであろう。

    ★ 四声+軽声の例
    • 陰平声(第1声) - 媽(mā; お母さん)- 高く平ら。
    • 陽平声(第2声) - 麻(má; 麻)- 上がり調子。
    • 上声(第3声) - 馬(mǎ; 馬)- 低く抑える。
    • 去声(第4声) - 罵(mà; 罵る)- 急激に下がる。
    • 軽声 - 嗎(ma; 疑問の語気助詞)- 抑揚はなく、高さは前の声調により変わる。
  • 開音節(n/ng を除いて母音で終わる)。

    元代以降、首都である北京音が広まった。音韻体系では単独短母音の「e」がなくて「ə」がある。

  • 修飾語が被修飾語の前にある。

    ただし、先史時代にはタイ語のように修飾語が被修飾語の後ろにあった。例:帝舜、后羿、婦好など。

  • 表意文字である漢字を使用する。

    漢字文化は漢民族の伸張とともに中国・台湾だけでなく、福建省、広東省、客家出身者を中心に華僑という移民の形で東南アジア各地に広がった。シンガポールでは国を作っている。また、漢字文化は異民族である日本、南北朝鮮、ベトナムにも広がっている。

漢字の読み方

伝説によると文字(漢字)は夏王朝が興る前の五帝の一人である黄帝の史官蒼頡そうけつが作ったことになっている。夏王朝の成立が約4100年前であるから、それよりも古い歴史を持つことになるが、実際のところは不明である。

中国語の歴史区分は、大きく上古漢語(上古音)、中古漢語(中古音)、近代漢語(古官話)、現代漢語(普通話、国語)に分かれる。

上古漢語(上古音)
紀元前15世紀頃(商代)~3世紀頃(後漢)。亀の甲羅や獣の骨に書かれた甲骨文が発見されている。
中古漢語(中古音)
4世紀頃~宋代。代表は都の長安(西安)で話された隋唐音である。
近代漢語(古官話)
元代、明代、清代。北京音が広まった。
現代漢語
日清戦争以後。欧米言語の影響や和製漢語の大量流入がある。

上古音以前の中国語と日本語の関係はほとんどわかっていない。弥生時代の遺跡から時々硯が発見されるが、考古学者は弥生時代の日本で文字が使われたことを認めていないようである。

日本語での漢字の読み方
  1. 訓読み
  2. 人名読み
  3. 慣用読み
  4. 音読み
    1. 呉音(⬅ 南北朝以前)
    2. 漢音(⬅ 隋唐音)
    3. 唐宋音
      • 中世唐音(=宋音)
      • 近世唐音
  5. 中国語読み借用語
    1. 広東語・上海語から
    2. 普通話(標準語)から

中古音の代表であり、遣隋使・遣唐使が学んだ隋唐音は、隋・唐代の長安(現在の西安)を中心とする発音である。日本では(訛りが加わった上で)漢音として広まった。政治・社会、文化・学術用語に多い。

日本で広く流布しているもうひとつの音読みである呉音は、五胡十六国・南北朝時代の南朝で話されていた言葉が元になっていて、仏教と共に伝来したらしく、仏教用語や生活用語に多い。中国からの直接ルートだけでなく、朝鮮半島経由のルートもあったかも知れない。

唐宋音は、禅宗や交易によりもたらされた宋代以降~近世の中国語(地方は雑多)を反映しているが、単発的であり数は少ない。

学研「新漢和大字典」(藤堂明保他編)

中古音を音読みする際は、次のような法則がある。中古音の発音は学研「新漢和大字典」(藤堂明保他編)による。

  • 帯気音(有気音)/無気音 ➡ 清音/濁音
  • 複数子音の同一視 例:s、ts、tʃ ➡ さ行
  • 重母音 ➡ 単母音
  • 語尾に母音「i」「u」の付加 例:日 nɪět(rɪět) ➡ ニチ、ジツ
  • -n/-ng ➡ う 例:東 tuŋ(拼音で dōng)➡ トウ
  • -eŋ ➡ えい 例:庭 deŋ(拼音で tíng/tìng)➡ テイ
  • h ➡ か行 例:呼 ho(拼音で hū)➡ コ
  • ŋ ➡ が行 例:月 ŋɪuʌt(拼音で yuè)➡ ガツ、ゲツ
  • p ➡ は行(語尾の場合は「ふ」) 例:卑 piĕ(拼音で bēi/bĭ)➡ ヒ
  • ɦ(かぎ付の h) ➡ わ行、が行、か行、は行 例:為 ɦɪuaě(拼音で wéi/wèi)➡ ヰ(ウィ) ➡ イ

5番目と6番目の法則には、平安時代初めまで「ん」を表す文字が無かった(山口謠司著・新潮新書「ん――日本語最後の謎に挑む――」)ことが関係している。

なお、魏志倭人伝に出てくる固有名を中心とした漢字(93字)の発音比較表(PDF 形式)を作成してみたので、関心のある方は参考にしてください。

日中韓漢字音比較
日中韓 漢字読み方比較

ダウンロード

上古音から中古音へ

ここで上古音から中古音への移行を検討したい。

わかっていることは、

  • 秦・漢帝国までは上古音が使われていた。
  • 隋・唐代には中古音(中古音の代表である「隋唐音」)に変わっていた。

である。問題は、いつ、何が契機となって移行が始まったか、である。

私は、社会が急激に変動するときに言語も急激に変化する、という仮説を立てている。素人なのできちんとした証明は出来ないが、逆が正しいと主張する人はいないであろう。例えば英語の場合、

  • ローマ人による征服(→ ケルト語にラテン語からの借用)
  • アングロ=サクソン族による征服(→ 古期英語)
  • ノルマンディー公ウィリアムによる征服(→ 中期英語)
  • 中産階級の台頭(→ 大母音推移)

があった。

西魏・東魏・梁(西暦 540 年頃)
「中華を生んだ遊牧民――鮮卑拓跋の歴史」表紙

講談社の
紹介ページ

司馬氏の晋(西晋)が西暦 316 年に倒れた時、一部皇族が江南に移って東晋を開いたが、420年に滅亡し、宋、斉、梁、陳と移り変わった(南朝)。華北は鮮卑拓跋たくばつを中心に五胡(匈奴・鮮卑・羯・氐・羌)と漢族を巻き込んで相継いで王朝が開かれたが、いずれも短命に終わった(五胡十六国・北朝)。この時代の移り変わりは最近(2023/05)発行された「中華を生んだ遊牧民――鮮卑拓跋の歴史」(松下憲一著。講談社選書メチエ)に詳しいので一読をお勧めする。

南北朝・五胡十六国時代は、倭の五王の時代に相当する。倭の五王は漢民族王朝である南朝を正統と認めて朝貢し、朝鮮半島の支配権の承認と安東大将軍等の官職への除正を求めた一方、北朝の国々とは国交が無かった。

さて、300年間にわたる分裂を収拾したのは隋の高祖楊堅(文帝)であるが、2代煬帝の失政で李淵に乗っ取られ、唐王朝が始まった。

楊堅も李淵も北部や西部の軍閥出身。配下には異民族も多く、両王朝とも純粋な漢民族王朝とは言い難い。それどころか皇后を輩出し、名門貴族として繁栄した独孤氏が鮮卑族であったように、王族自体に鮮卑族の血がかなり混じっていた。隋唐は鮮卑拓跋と漢民族の融合王朝だと言える。

邪馬台国問題研究者にとって問題となるのは、魏・呉・蜀の三国時代に既に中古音が黄河流域で始まっていたかどうかである。安本美典氏は、倭国に来た魏の使節は既に中古音を使っていたが、倭の諸国の名はまだ上古音で表記されたのものが多かったという見解のようである。

しかし、上古音から中古音への音韻変化は、漢民族の中での王朝交代である後漢~西晋の時代よりも、鮮卑族や羌族等が支配者となった南北朝・五胡十六国の時代の黄河流域に起き、隋・唐王朝時代に華南にも広まったと推定する方が妥当ではないだろうか? なにしろ、漢王朝の最大人口は約6,000万人近かったと推定されているが、西晋の登録人口は1,616万人余りだったらしい(加藤徹氏の「中国の人口の歴史」のページ)。登録人口が実際の人口というわけではないにしても、凄まじい人口減少であり、これが遊牧民族の黄河流域への侵入・支配を許す原因となった。

隋唐音はそのような環境の下で首都長安を中心に生まれた。隋・唐王朝の最上流貴族はきちんとした漢語を学んだであろうが、軍人や庶民、地方民はどうであろうか? 前述の「中華を生んだ遊牧民」は漢語の変化については何も述べていないが、筆者は音韻でも文法面でも鮮卑拓跋の影響を多大に受けたと思うのである。

なお、上古音から中古音への音韻変化として、安本美典氏は「烏」と旁としての「支」を例として挙げている。

◆ 上古音 /-ag/ → 中古音 /-o/ → 普通話拼音 /-wu(u)/-e/
  • 烏=ア、オ(ag)→ wu(烏海 wuhai)
  • 鶴=カク=つる(hag)→ hu → he(鶴壁 hebi)
  • 悪=アク(ag)→ -e (憎悪)
  • 呉=カ゚ク(ŋag)→ コ゚ /ŋo/ → /wu/
◆ 上古音 /kieg/ → 中古音 /tʃıĕ/ → 普通話拼音 /zhi/qi/ji/
  • シ:支(zhi)、枝(zhi)、肢(zhi)
  • キ:岐(qi)、伎(ji)
  • ギ:技(ji)
中古音で渡り音として /i/ が声母と韻母の間に挟まった結果、「支」を旁としてもつ漢字がキ → シになったのではないか。(安本氏)

筆者が学研「新漢和大字典」で「支」を旁として持つ漢字の上古音と中古音を調べてみたところ、「キ/ギ」から「ヂ」を経て「ジ」や「チ」に移行したように思えた。

上古漢語・上古音の特徴

上古漢語は、紀元前15世紀~紀元後3世紀の中国語を指す。時代区分では商(殷)~秦・漢代であり、発音としては上古音と呼ばれる。

ウィキペディアの「中国語」の項目によると、漢字の原形とされる甲骨文字(1899年に発見)が使われていて、簡単な文章が記録されているとのことである。

特徴を列挙すると、

  • 声母(頭子音)に複子音 sl-, pl-, kl-(例: 「監」*klam) などが存在した。
  • 韻母の尾子音は豊富だった(例:「二」 *gnis)。
  • 語順はタイ語的なSVO型だった。(例: 吳 敗 越 於夫椒 「呉は夫椒で越を破った。」 S-V-O-Adv ⇔ 現代語: 吳軍 在夫椒 越軍 打敗了。 Or 吳軍 在夫椒 打敗了 越軍 S-Adv-O-V)
  • 文法的に重要な役割を果たしていた接辞不変化詞による修飾語の形成があったが、後期になると衰え始めた。
  • 代名詞にがあった。今でも一部が客家語湘語に残っている。
  • 戦国時代の楚や秦の言語は楚文字と呼ばれる字体の漢字で竹簡などに記録され、包山楚簡里耶秦簡などが発見されている。

漢字の古い音価を推定するには反切という方法が伝統的に使われる。音価の知られている2つの漢字を用い、一方の声母(語頭子音)と、他方の韻母(母音と語尾子音)および声調を組み合わせて、その漢字の音を表す。

例: 唐、徒郎反。
  1. 「徒」の『切韻』時代の音は /do/ (平声)なので、頭子音は /d-/
  2. 「郎」の『切韻』時代の音は /lɑŋ/ (平声)なので、頭子音を除くと /-ɑŋ/ (平声)
  3. したがって、両者を組み合わせた /dɑŋ/ (平声)が「唐」の発音になる。
  • 例はウィキペディア「反切」の項目より。

隋代以降、科挙受験者にとって論語などの古典に精通することは必須であった。意味がわかるだけでなく、発音も知識も必要だったという背景もあって、韻書が書かれ、愛用された。それが現代の中国語研究者にとって役立っているのである。

しかし、ウィキペディア「反切」の項目では、次のように反切による手法の限界が指摘されている。

  • ある韻に字がひとつしかない場合は反切を作ることができない。
  • 反切から正しい発音を得るには熟練が必要である。
  • 古い時代の書籍の反切を使って音を得る場合には、反切がつけられた時代の音韻体系を知っている必要がある。(異なる時代の文字には適用できない。)
  • 反切下字が唇音で始まるときに介母 /u/ があるかどうかについて曖昧さが発生する。