助詞「奴(nag)」の末裔
更新:2024/02/26|作成:2015/03/04
魏志東夷伝倭人の条、俗に言う「魏志倭人伝」には、次のような国々が登場する。
- 邪馬台国への途中にある諸国として狗邪韓国、對馬国(對海国?)、一大国、末盧国、伊都国、奴国、不彌国、投馬国
- 邪馬台国
- 遠絶のため詳しくわからない国々として斯馬国、己百支国(已百支国?)、伊邪国、都支国、彌奴国、好古都国、不呼国、姐奴国、對蘇国、蘇奴国、呼邑国、華奴蘇奴国、鬼国、爲吾国、鬼奴国、邪馬国、躬臣国、巴利国、支惟国、烏奴国、奴国
- 卑弥呼と敵対する国として狗奴国
- 女王国から四千余里離れた所にある侏儒国
- 東南に船で一年かかろうという所にある裸国と黒歯国
今回はこの文の中に9つの国名に現れる「奴」の字に注目して論を展開したい。
元産業能率大学教授で現在「邪馬台国の会」を主宰する安本美典氏は、「奴」が使われている国名を2つに分類している。
- 2回現れる「奴国」
- 彌奴国、姐奴国、蘇奴国、華奴蘇奴国、鬼奴国、烏奴国、狗奴国
1.にある「奴国」の「奴」は上古音「nag」を利用して「ナ」と読まれた。2.の国名に含まれる「奴」は「の」という意味の助詞として使われているのではないかという指摘である。しかし私は、「奴」が助詞であるのは古日本語だけであろうか、と問題提起したい。
現代中国語の標準語「普通話」では、「奴」は通常「nú」とPinyinで表記し、手元の電子辞書に搭載された小学館「日中辞典 第2版」によると、
- 奴隷、奴僕、しもべ
- 奴隷のようにこき使うこと
- (近)私(わたくし)、若い女性の自称
という意味だけが載っていて、助詞としての意味は存在しない。代わりに軽声で発音される「的」(通常 de/時として di)が日本語の助詞「の」や助動詞「だ」の意味に使われる。電子辞書によると、「地」や「底」も所属関係を示す助詞として使われた時期があったという。
要するに軽声で発音される助詞 de/di の場合、漢字は当て字に過ぎないのである。思えば漢字の国中国といえども、近代以前、民衆(庶人)は文盲であった。
横道にそれるが、殷周革命を描いた宮城谷昌光氏の小説「太公望」中では、文字を知っているだけで畏怖の対象となる描写がある。王族と神官だけが文字を知るものとされているからである。春秋・戦国時代を舞台とした小説では、名門貴族出身の将軍でも読み書きが怪しかったりする。
ただ残念なことに、同格の用法が見つからない。英語でも「of」に「the United States of America」のような同格用法があるのに......。ようやく辞書を調べて見つけた同格用法に近い例が次の2つ。
- 嗒嗒的馬蹄声(ぱかぱかという蹄の音)
- 轟的一声炮响(ずどんと1発の砲声)
さて、「奴」「的」「底」「地」の発音の変遷を学研「新漢和大字典」で調べると次のようになる(上古→中古→中世→現代|Pinyin の順)。
- 「奴」: nag → no(ndo) → nu → nu|nú
- 「的」: tök → tek → tiəi → ti|dì/dí/軽声 de
- 「底」: ter → tei → tiəi → ti|dĭ
- 「地」: dieg → dii → ti → ti|dì
残念ながら、ぴったりとは一致しない。しかし、「地」と似た意味の「泥」の発音の変遷を見ると、
- 泥:ner → nei/ndei → niəi → ni|ndí
となっている。
軽声のため母音がはっきりしないであろうこと、また、2000年前も方言があったであろうことを考え合わせると、中国語が上古音から中古音に移り変わる過程で、「の」の意味の助詞「奴(nag)」が nag → no/ndo → ndei → dei/tei と音価が変化し、漢字にも揺れと混線が起きて、最終的に「的(de)」に落ち着いたのではないだろうか?
- 紀元前200年頃、始皇帝が中国を統一した時の秦の首都は、現在の西安の西にある咸陽であったが、秦は三代で滅んだ。劉邦が漢王朝(前漢)を築くと、長安(現在の西安)に首都が築かれた。
- 王莽による皇位簒奪を経て劉秀が開いた後漢になると、首都は中原の洛陽に移る。
- 三国志で有名な魏・蜀・呉の三国時代の後、魏王朝の遺産を継いだ司馬氏が統一王朝を樹立する(西晋)。しかし長続きせずに滅亡、皇族の一部が江南の建業(=建康、現在の南京)に脱出して建国する(東晋)。
- 西暦420年に東晋が滅亡すると、中国南部では建業を首都として6つの王朝が数十年おきに交替する(「六朝(りくちょう)」)一方、中国北部は匈奴などの異民族に支配される。
- 6世紀末、中国は楊堅によって統一(隋)されるも2代で事実上滅び、李淵が唐王朝を樹立する。隋・唐時代の首都は長安(現在の西安)であった。
と書いたが、戦国時代から隋建国までは戦乱が多く、華北などは匈奴や鮮卑族などの異民族に支配されることもあったから、言語も異民族の影響を受けて不思議はない。前漢末に推計6000万人もあった中国の人口も、後漢の光武帝の治世時は約2000万人まで減少していて、後漢末でも前漢末の人口まで回復することはなく、三国志の時代には1000万人に届かなかったという(加藤徹著「貝と羊の中国人」=新潮新書)。
隋や唐の初代皇帝となった楊堅や李淵は、北部や西部の辺境を守る軍閥出身で、幕下には異民族の軍人も多かった。それどころか、彼ら自身に鮮卑族の血が色濃く流れていたという説が有力である。唐長安の国際性は、皇帝の出自の反映でもあったのである。
なお、説明をし忘れたが、「上古音」は周時代~前漢・後漢時代、「中古音」は南北朝時代~五代・宋時代の中国語音韻体系を指す。中古音でも前半の隋・唐期は特に重要なため、隋唐音と呼ぶ。西晋の陳寿が三国志を書いた西暦280年頃は、上古音から中古音への過渡期である。
学者によっては助動詞に分類されることもある日本語形容動詞語尾「だ」は、ウィキペディア「形容動詞」の項目の「概要」では、次のように説明されている。
形容動詞は、平安時代に形容詞が不足したとき、形容詞で表現できない意味を持つ名詞を語幹として「なり」または「たり」をつけることによって成立した[1]。(ナリ活用とタリ活用。前者は現在のダ型活用、後者はタルト型活用[2])。
タルト型活用は退化が著しく、現代日本語では連用形「~と」と連体形「~たる」しか残っていないが、ダ型活用は次のように活用する。
- 未然形:だろ 「静かだろう」
- 連用形:だっ・で・に 「静かだった」「静かである」「静かに」
- 終止形:だ 「静かだ」
- 連体形:な 「静かな」
- 仮定形:なら 「静かならば」
- 命令形:×
ナ行とダ行が混在しているあたり、「奴」の中古音「no(ndo)」や「泥」の中古音「nei(ndei)」を連想させる。一方、中日辞典で助詞「的(de)」の項目を引くと、恐ろしいほど日本語の助詞「の」や形容動詞語尾(或いは助動詞)「だ」との類似が目に入る。
言語間の単語の借用関係は、名詞で起きやすいが形容詞や動詞でも起こる。しかし、日本語と中国語の間の類似は、助詞や形容動詞語尾・助動詞にも及んでいる。これを偶然の一致、或いは単なる借用と片付けてしまって良いのだろうか? 中国語の助詞「的」と日本語の助詞「の」、形容動詞語尾「だ」は語源が同じで、同格用法の欠如も口語的すぎて文字として記録されていないだけなのではないだろうか?