風仙洞

中国の伝説的姓氏

最終更新:2024/06/29
作成:2022/12/19

中国の伝説的姓氏についてはウィキペディアなどに項目が立てられ、いろいろ記述がある。しかし全体像が見にくいので私なりにまとめてみた。個々の姓氏、人物(神物?)についてはウィキペディアの各項目を参照して欲しい。

実はもっと前に手がけたかったのだが、系図を HTML/CSS でどう表示するかのアイデアが浮かばなかった。ようやくli 要素に疑似要素「::before」を組み合わせ、最後の li 要素であるかどうか(単なる「li:last-child」であるか「li:last-child::before」であるか)で通常のマーカーの代わりの罫線文字「┗」「┣」を使い分けることを思いついた次第である。

ul/li 要素 + :last-child + ::before + 罫線文字「┗」「┣」
目次

有巣氏~燧人氏・伏羲氏(風姓)

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有巣ゆうそう氏は家屋を発明し、巣湖周辺に古巣国を立てたとされる。

燧人すいじん氏という名前は発火法を2つ発明したことに因む。風姓で燧明国の君主、後有巣氏と黒衣氏の祖である。伝説では中国最初の都である商丘を建設したと言われる。

華胥かしょ国の娘が雷沢らいたくの地で大きな足跡を踏み、その時に宿した子が伏羲であり、大洪水を一緒に生き延びた妹女媧と夫婦になったとされる(東南アジアにも類似の伝説がある)。伝説によると伏羲氏は天文地理・八卦に通じ、漁具・漁法を考案しただけでなく、黄帝の史官蒼頡そうけつが発明した漢字よりも前の段階の文字を作ったとも言われる。

伏羲、女媧、神農は、三皇五帝の三皇である。

初代炎帝神農と軒轅(後の黄帝)は異母兄弟。現在の西安近くを流れる渭水の支流姜水のほとりで生まれたのが神農で、川の名前に因んで姜姓を称した。別の支流姫水のほとりで生まれたのが軒轅で、川の名前に因んで姫姓を称した。

神農は、「農」の字が示す通り農業神であり、医薬の神でもある。薬草を手当たり次第試したので、マッド・サイエンティストと言って良いかも知れない。炎帝神農氏の子孫と伝えられる神として祝融、后土、共工、瑤姫、精衛、蚩尤しゆうが挙げられる。末裔に太公望(呂尚)や呂不韋(秦の丞相)とも。姜姓、後に子孫は呂姓。

黄帝もユンケル黄帝液が発売されている(笑)だけでなく、「黄帝~」という漢方の医学書があるように、医学に造詣が深い神である。

神農氏が衰えたとき、神農氏は同族の蚩尤との戦い(涿鹿の戦い)で軒轅(後の黄帝)の援軍を得て勝利を収めたものの、次いで起きた阪泉の戦いでは第8代炎帝楡罔が黄帝に滅ぼされた。

▼中国東部の地下資源(石炭・鉄・銅・錫)分布
Google Maps Static API による中国東部の地下資源分布
西遼河  
地域
黄河上流域
黄河中流域(関中・中原)
中間混合地帯
黄河下流域
長江上流域
東:巴
西:蜀
長江中流域
西:両湖平原
東:鄱陽湖平原
長江下流域
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凡例
  • 白=石炭
  • 緑=鉄
  • 赤=銅
  • 黄=金
  • 茶=鉛・亜鉛
  • 紫=錫
  • 橙=水銀
中国の五岳(青)と古戦場(灰色)
  • E:泰山(Tàishān)
    36.254610,117.105881
  • S:衡山こうざん(Héngshān)
    27.296737,112.694007
  • C:嵩山すうざん(Sōngshān)
    34.519449,113.004052
  • W:華山(Huáshān)
    34.477805,110.084769
  • N:恒山(Héngshān)
    39.672657,113.732555
  • T:涿鹿(軒轅=後の黄帝vs蚩尤の古戦場)
  • B:阪泉(軒轅=後の黄帝vs神農=炎帝の古戦場)

炎帝神農氏(姜姓)

伝説によると炎帝の位は次のように継承された(神農~帝哀の血縁関係は不明)。

  1. 神農
  2. 帝臨魁
  3. 帝承
  4. 帝直
  5. 帝来
  6. 帝哀
  7. 帝楡罔(帝哀の子節莖の子克の子)
  • 楡罔ゆもう
    • 炎居
      • 節並
        • 戯器
          • 祝融(火事の象徴とされる)
            • 共工(水害の原因とされる)
              • 勾龍
                • 夸父こほ
                  • 竹猷(孤竹国第7代君主。
                    夸父との血縁関係不明)
                    • 亜微
                      • 伯夷(長男)
                      • 仲馮(次男。孤竹国継承)
                      • 叔斉(三男)
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孤竹国は北京の北東にある唐山市を中心とした国であり、君主である墨胎氏は商王朝の分家として同じ子姓のはずなので、竹猶が孤竹国第7代君主として歴史に登場するのはおかしい。また、夏王朝や商王朝初期~中期までの時間が無視されている。そもそも黄帝に敗れた神農氏の残党は西に逃れたはずなのに、孤竹国は中原の北東にある。本当は子姓は2系統あるのかも知れない。伯夷と叔斉は武王の克殷に反対し、餓死した。なお、孤竹国は春秋時代に斉の桓公と宰相管仲によって滅ぼされた。

姜姓

ウィキペディア日本語版の「姜姓」の項目は起源について詳しくないので、百度百科(中国語)の「姜姓」の概要部分を和訳すると、次のようになっている。

姜姓は神農氏に起源を発し、上古八大姓のひとつである。炎帝は姜水で生まれ、河の名前をとって姜を姓とした。子孫の姜子牙は周初に斉に封じられた。春秋戦国時代の姜姓諸侯国の主なものに斉国(姜斉)と鄣国がある。戦国中期に至って姜斉は田氏に滅ぼされ、子孫は四散した。ある者は国名を氏として斉氏となり、ある者は姓を氏として姜氏となった。秦漢時代、姜姓は関東の大族しょう族を西遷させ、無駄に関中を充実させただけだったものの、その後、天水では著名な地方豪族となった。現在、姜姓は中国、北朝鮮、韓国、フィリピン、インドネシアで広範に分布する。

姜姓は《百科姓》で32番目にあり、2007年に全国姓氏人口の代60位であって、全国漢族人口の約 0.34% を占める。その他102の姓氏が姜姓支族であるという出自を共有するが、支族の中には呂、許、謝、紀、丘、盧等の単姓64と淳于じゅんう、東郭、高堂、子雅、雍門ようもん、公牛等の複姓38が含まれている。

姫姓系(黄帝有熊氏、己姓、姒姓、嬴姓初期)

  • 黄帝①(姫姓有熊氏)
    • 玄囂げんごう②=黄帝の長男、少昊。己姓
      • 蟜極きょうきょく
        • こく④=帝しゅん(俊)
          • ⑤=嚳の長男
          • 放勲⑥=嚳の次男、堯。重華に禅譲。
          • (不明)
    • 昌意=黄帝の次男

※丸数字は即位順。

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三皇五帝の五帝は黄帝・顓頊・帝嚳・尭・舜を指すことが多い(史書により異同がある)。帝嚳の子孫后稷は姫を姓とした。后稷の子孫古公亶父が周の始祖。嚳の曾孫陸終の長子樊は昆吾氏の祖。

夏王朝地図 2050 BC 頃(「中国まるごと百科事典」より)
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  • 残念なことにこの地図の黄河の河道は現代のものである。当時の黄河は洪水の度に河道移動していたが、禹王の治水により開封以東では現代よりも太行山脈寄りに流れるようになっていた。
  • 禹①(夏王朝創始者。姒姓)
    • 女脩(女性)
    • 啓②
      • 大康③(国を失ったと言われるほど夏王朝が衰微)
      • 中康④
        • 相⑤(妻と臣下の寒浞かんさくに弑された)
          • 少康⑥(夏王朝を中興)
            • 予⑦
              • かい
                • ぼう
                  • せつ
                    • 不降⑪
                      • 孔甲⑭
                        • こう
                          • 発⑯
                            • 桀⑰
                              (夏王朝滅亡)
                    • けい
                      • きん
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姒姓についても日本語でのウィキペディアの項目が見当たらないので、百度百科(中国語)の「姒姓」の項目(一部分)を和訳して引用する。

姒(si)姓は中華姓氏であり、上古八代姓のひとつ。資料考証によると、姒姓は4000年あまりの歴史を持つ姓氏であり、姒姓の祖先は、世人が大昔から称揚する中国古代の治水英雄大禹である。大禹は華夏民族の傑出した聖祖である。陕西城固、浙江紹興禹陵郷、萧山、温州、杭州、四川峨眉山市、峨辺、雲南鲁甸、上海、北京、天津、河南杞県、江蘇蘇州、黒龍江哈尔滨等の地域にはおしなべてこの姓がある。

夏朝の国姓である。春秋戦国時代の姒姓諸国で主なものには蓼国、繒国、杞国、越国等がある。姒姓から分かれて発展した支姓には廖氏、夏氏、曾氏、相氏、鮑氏、欧陽氏等がある。

絶対多数の姒姓は氏を自称しているので、現在姒姓は極めて少ないが、主なものは紹興禹陵村に集中している。彼らの歴代の主要な職責は、禹王陵を守ることであった。

著名人物には上古有蟜氏、鯀(崇伯)、大禹、夏后啓、廖叔安、有莘氏、少康、勾践等だけでなく、周文王の妻太姒たいじ、周幽王の妃褒姒ほうじもいる。

  • 后稷(帝嚳の子孫。姫姓)
    • (11代)
      • 古公亶父
        • 太伯(→ 呉王家)
        • 虞仲(→ 呉王家)
        • 季歴
          • 昌(文王)
            • 伯邑考(文王の長男、武王の同母兄)
            • 管叔鮮(三監の乱を起こしたが、周公旦に平定された)
            • 周公旦(→ 魯公。文王の四男で武王の同母弟)
            • 蔡叔度(三監の乱を起こしたが、周公旦に平定された)
            • 振鐸(→ 曹公)
            • 畢公高(→ 魏氏)
            • 封(→ 衛公)
            • 発(武王)①
              • 虞(晋公)
              • 成王②
                • (2代)
                  • 穆王⑤
                    • 孝王⑧
                    • 共王⑥
                      • 懿王⑦
                        • 夷王⑨
                          • 厲王⑩
                            • 桓公(鄭公)
                            • 宣公⑪
                              • 幽王⑫
                                • 平王⑬
                                  (以下略)
                                • 伯服

※東周となった平王の時代には既に完全に歴史として記録されているので、14代以降は省略。

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周王室

嚳の子孫である后しょくが祖先のように姫を姓とした。后稷の12代目の子孫古公亶父ここうたんぼが周の始祖である。周王室から分家した姫姓諸国は数多い。詳しくはウィキペディアの「姫(姓)」の項参照。姫と姬なお、姬と姫とは本来別文字であるが、日本語では同一視する慣習となっている。

第12代幽王で西周は滅亡し、廃太子宜臼が平王として擁立された(以降は東周)。また、鎬京から洛邑(洛陽)への遷都が行われた。

昆吾こんご氏(己姓)

昆吾氏については日本語でのウィキペディアの項目が見当たらないので、百度百科(中国語)の「昆吾氏」の項目(一部分)を和訳して引用する。

昆吾氏は中国先秦時代の氏族集団で己姓。始祖は名をはんと言い、顓頊の曾孫陸終の長子である。樊の氏族集団は、昆吾(現在の山西省安邑一帯)に居住したので、昆吾氏という名を得た。

夏朝帝王仲康の時代、昆吾氏は諸侯の長に任命され、「夏伯」と号し、現在の河南省濮陽県一帯に遷居した。帝芬の時代、昆吾氏は支族の子弟を蘇の地に封じてもらい、有蘇氏(すなわち蘇妲己がいた国)を立てた。夏朝後期、王朝が衰弱すると、許の地(現在の許昌一帯)に遷居した。

夏朝末年、昆吾氏と同姓の顧国、彭姓の韋国は、商湯が夏を滅ぼす前、夏桀の羽翼であったが、全滅に追いやられた。

樊と参胡、彭祖、莱言、晏安、季連という同母弟からは、己、とうほうとくうん、曹、しんという姓が生まれた(祝融八姓)。

子姓(商王朝)

ウィキペディアの殷の項目によると、

伝説上、殷の始祖はせつとされている。契は、有娀氏の娘で帝嚳の次妃であった簡狄が玄鳥の卵を食べたために産んだ子とされる。契は帝舜のときに禹の治水を援けた功績が認められ、帝舜により商に封じられ子姓を賜った。
  • 契(始祖、子姓)
    • 昭明
      • 相土
        • 昌若
          • 曹圉
              • 亥(高祖、永)
              • 恒(亙、亥の弟)
                • 上甲微(昏微)
                  • 報乙(匚乙)
                    • 報丙(匚丙)
                      • 報丁(匚丁)
                        • 主壬(示壬)
                          • 主癸(示癸)
                            • 天乙
                              (湯王。夏商革命)
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商王朝地図(「中国まるごと百科事典」より)
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  • 天乙(湯)①
    • 外丙②
    • 仲壬③
    • 太丁
      • 太宗太甲④
        • 沃丁⑤
        • 太庚⑥
          • 小甲⑦
          • 雍己⑧
          • 中宗太戊⑨
            • 仲丁⑩
            • 外壬⑪
            • 河亶甲⑫
              • 祖乙⑬
                • 祖辛⑭
                  • 祖丁⑯
                    • 陽甲⑱
                    • 盤庚⑲
                    • 小辛⑳
                    • 小乙㉑
                      • 高宗武丁㉒
                        • 祖庚㉓
                        • 祖甲㉔
                          • 廩辛㉕
                          • 庚丁㉖
                            • 武乙㉗
                              • 文丁㉘(太丁)
                                (下に続く)
                • 沃甲⑮
                  • 南庚⑰
  • ※丸数字は即位順。
  • ※ウィキペディアの「殷」の項目にある史記に基づいた系図に比干他数名と注釈を追加して作成。
  • ※実際には親子、兄弟など近い血族による相続ではなく、複数氏族による王位持ち回りだったという説が有力。
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  • 文丁㉘(太丁)
    • 帝乙㉙
      • 微子びし啓(→ 宋国)
      • 微子中衍ちゅうえん(微子啓には嫡子がなかったため、宋公を継ぐ)
      • 帝辛㉚(子受、ちゅう王)
        • 武庚ぶこう(武王の弟ふたりと三監の乱を起こしたが失敗)
    • 箕子きし(→ 箕子朝鮮を建国?)
    • 比干ひかん
      • 堅(→ 林氏?)
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嬴姓(大廉~秦王家・趙王家)

  • 大廉
    • (8代略)
      • 蜚廉ひれん(蜚廉と悪来は夏商革命に登場)
        • 季勝(→ 趙王室。夏商革命の時は幼児?)
        • 悪来
          • (4代略)
            • 非子(秦を建国)
              • (3代略)
                • 荘公
                  • 襄公
                    • 文公
                      • (3代略)
                        • 穆公
                          • (14代略)
                            • 恵文王
                              • (3代略)
                                • 始皇帝・政
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ウィキペディアに掲載された
趙氏 嬴姓 秦王家系図(画像)を表示
趙氏 嬴姓 秦王家系図

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