九州・沖縄の主要旧石器遺跡分布
作成:2024/01/24
九州・沖縄の主な旧石器遺跡の分布を地図上で表してみた。資料とツールは
- ウィキペディアの「石器時代の遺跡一覧」
- 奈良文化財研究所「全国遺跡報告総覧」
- コトバンク
- グーグル・マップ
- 「NAVITIME」の住所検索
- その他ネット検索
- 産総研「地質図 Navi」の「海面上昇シミュレーション」機能
- Google Earth Pro / Google Earth Web
である。
ウィキペディアの「石器時代の遺跡一覧」に掲載された遺跡を他の資料で検索し、なるべく詳しい住所、緯度・経度を求めて、Google Maps Static API による地図にプロットした。緯度・経度は「全国遺跡報告総覧」掲載のデータを優先したが、掲載されていない場合は他の資料を用いた。
「海面上昇シミュレーション」は、最終氷期の主な海面低下段階での地図を作成するのに使用し、Google Earth は現生人類(ホモ・サピエンス)の拡散経路を図示するのに使用した。
最終氷期の海水面変動
旧石器時代は通常3つに分けられる。ウィキペディアの「旧石器時代」の項目によると、
- 前期旧石器時代(英語: Lower Paleolithic/Early Stone Age、約260万年前 - 約30万年前)
- 手斧がひろく用いられた時代。この時代の人類はホモ・ハビリスおよびホモ・エレクトスが主流であった。
- 中期旧石器時代(英語: Middle Paleolithic/Middle Stone Age、約30万年前 - 約3万年前)
- 剥片石器が出現した時代。
- ネアンデルタール人が広がった。極東アジアの中期石器文化の特徴から、ヨーロッパから来たネアンデルタール人に依ったものではなく、アジアの原人から進化した古代型新人によって形成された可能性が大きいとされる。
- 後期旧石器時代(英語: Upper Paleolithic/Later Stone Age、約3万年前 - 約1万年前)
- 石器が急速に高度化、多様化した時代。このような技術革新の原動力を言語に求める説もある。クロマニヨン人(ホモ・サピエンス)が主流となり、他の化石人類は急速に姿を消した。
となっている。
日本列島では年代のはっきりした現生人類(ホモ・サピエンス・サピエンス)の遺跡は約 38,000~35,0000 年前のものである。恐らくその少し前、約4万年前頃に現生人類が日本列島に到達したと考えられる。それよりも前と推定されている遺跡も見つかっているが、ネアンデルタール人、デニソワ人、或いは北京原人の子孫のどれが残したのかははっきりしない。
最終氷期(ヴュルム氷期、ウィスコンシン氷期)は約7万年前に始まったが、ずっと同じ寒さが続いていたわけではない。前半は、現在よりは寒かったもののまだ本格的ではなく、氷床もさほど大きくはなかった。そのため海水面の低下も 70~80 m であったと推定されている。
約 33,000 年前に本格化し始めた寒冷化のピークは約 21,000 年前であり、平均気温は現在よりも約6℃低く、乾燥していたようである。15,000 年前になると氷河期終了への徴候がはっきりし、約 12,500 年前頃にヤンガー・ドリアス期という寒の戻りを経て約 12,000 年前に氷河期が終了する。なお、海水位の変動は寒さの変動よりも 2,000~3,000 年遅い。
以上は一般的な最終氷期の知識であるが、日本列島周辺ではどうだったたのであろうか? 最終氷期に於けるいくつかの特徴的なステージでの大陸棚の陸化状況を下の地図4つで示す。
作成に使用したのは産総研が運営する「地質図 Navi」の「海面上昇シミュレーション」機能である。画面左にあるツールバーを「データ表示」→「地形」アイコン →「海面上昇シミュレーション」と辿る。
画面下部のスライドつまみを左右に動かすことにより表示したい海水位を選択出来る。ただし連続値ではなく飛び飛びである。また、左上の「+」「-」記号をクリックすることでズーム・レベルを選択出来る(拡大しすぎると「海面上昇シミュレーション」のレイヤーが消滅する)。さらに、右上の「背景地図」ボタンをクリックすると、「地理院地図」「白地図」「川だけ地形地図」などを選択出来る。
上の海水位シミュレーション地図を見ると、時代により中国大陸の張り出し方が大きく異なっていたことがわかる。なにしろ東シナ海の西側3分の2は、深さが 200 m に足らない大陸棚なのである。海水位の上下が陸地面積の増減に直結する。
現在では海面下になってしまったこの陸地に人が住んでいなかったはずはないが、日本の考古学では無視されるか単なる通過地域として扱われる。その結果、日本列島への渡来の出発点は、弥生時代以降と同じく現在の中国大陸ということになる。全く馬鹿げた考え方である。
また、現在よりも海水位が数十メートル低かったとき、当時の狭かった東シナ海の南部には小さな島が点在していたことも忘れてはならない。
沖縄県
上の地図を見ると、旧石器時代には中国大陸が沖縄の上に大きく張り出していたのがわかる。沖縄の島々は、海水位が低下していたため、相互に繋がっていて現在よりも数倍広かった。また、宮古島の北東には現在は存在しないかなり大きな島があった。
沖縄の旧石器遺跡と中国南東部の旧石器後期を含む遺跡として 2022 年にニュースになった木蘭渓・山辺遺跡、既に有名な新石器初期遺跡である玉蟾岩遺跡、仙人洞・吊桶環遺跡、台湾の旧石器遺跡として検索上位に出てくる八仙洞遺跡をひとつの地図にプロットしてみた。
八重山列島と台湾の間の海峡は、深さが 500 m 以上あるので、最終氷期極大期でも人が歩いて渡ることはできなかったが、日本海流は現在よりも弱かったと考えられる。
- 海峡部分が浅くなったことで、より大きな抵抗を受けることになった。
- 対馬海峡は閉じてはいなかったものの、極大期には対馬海流が日本海に抜けるには浅すぎ、狭すぎた。
- 吐噶喇列島の島々が現在よりも大きかった。また、現在は水面下になっている島がいくつもあったので、現在よりも抵抗が大きかった。
- 極大期の日本海流に関しては、東シナ海に入れなかったとする研究(岡山大学 → 九州大学の菅浩伸教授)、東シナ海に入れたものの半分が慶良間ギャップ(慶良間諸島南のやや深くなっている部分)から太平洋に抜けたとする研究(東北大学井龍康文教授の研究室)などがある。今後の研究進展が期待される。
いずれにせよ、最終氷期には東シナ海は現在よりも狭かったので、沖縄・中国大陸間、沖縄・九州間の航海をするための自然条件は、極大期までの旧石器後期にはそれ以降と比べて多少困難の度合いが小さかったかも知れない。
九州
上の地図を見て、旧石器時代の遺跡が北西部に多いように感じられたので、旧石器時代に貴重品であったに違いない黒曜石とサヌカイトの産地リストを作成してみた。
- 日本の黒曜石とサヌカイトの主産地
-
- A. 白滝遺跡(黒曜石)43.874567,143.129350
北海道 遠軽町(旧白滝村) - B. 和田峠・霧ヶ峰周辺数ヶ所(黒曜石)36.109300,138.126100
長野県 下諏訪町東俣(東俣遺跡) - C. 恩馳島(黒曜石)34.186956,139.075992
東京都神津島村 ※神津島西隣の小さな島。神津島産よりも更に良質。 - D. 朝日・弁天山遺跡(黒曜石)35.224526,139.048610
神奈川県足柄下郡箱根町 - E. 皮子平(黒曜石)34.860244,138.979075
静岡県伊豆市筏場 - F. 柏峠遺跡(黒曜石)34.956300,139.063800
静岡県伊東市鎌田字落合 - G. 伊豆石丁場遺跡(黒曜石)35.053611,139.064444
静岡県熱海市上多賀 - H. 久見宮ノ尾遺跡(黒曜石)36.323892,133.231362
島根県 隠岐の島町。同島南東部の「宮尾遺跡」と混同しないこと - I. 姫島(黒曜石)33.732889,131.642680
大分県東国東郡姫島村 - J. 腰岳(黒曜石)33.243044,129.870293
佐賀県伊万里市 - K. 牟田(黒曜石)33.373094,129.648664
長崎県佐世保市 横臼鼻近く - L. 東浜(黒曜石)33.132961,129.741664
長崎県佐世保市 淀姫神社 - M. 針尾中町(黒曜石)33.068567,129.752569
長崎県佐世保市 針尾送信所近く - N. 大崎半島(黒曜石)33.043627,129.826642
長崎県佐世保市川棚町 - 1. 峰一合遺跡(下呂石)35.801703,137.253326
岐阜県下呂市森 - 2. 二上山北麓(サヌカイト)34.544161,135.652717
奈良県・大阪府境 - 3. 金山(サヌカイト)34.305111,133.870923
香川県坂出市 - 4. 五色台(サヌカイト)34.344400,133.945860
香川県坂出市 ※サヌカイトの学名のもとになった讃岐石の産出地 - 5. 冠遺跡群(サヌカイト)34.435435,132.078904
広島・山口県境の冠高原 - 6. 鬼の鼻山北麓(サヌカイト)33.240577,130.097153
佐賀県多久市 - 7. 織島 岡本周辺(サヌカイト)33.324032,130.219236
佐賀県小城市
- 黒曜石の産地リストはウィキペディアの「黒曜石」の項目による。
- サヌカイトの産地リストはコトバンクの「サヌカイト」の項目による
- 数字は緯度と経度。少数点以下は10進法。場所によっては数 km の誤差を含むかも。
- A. 白滝遺跡(黒曜石)43.874567,143.129350
上のリストを九州中心の分布地図にまとめると次のようになる。
九州と山口県の黒曜石とサヌカイトの分布は、中央構造線よりも北側に限られるようである。
それにしても、長崎県と佐賀県は、旧石器時代には東シナ海~対馬海峡に存在した巨大な平原に住む人々に対する石器の供給地だったに違いない。実際、現在の朝鮮半島南岸にあるいくつかの遺跡では腰岳産の黒曜石が発見されている。
なお、旧石器時代に起きたイベントとして忘れてはならないのが 29,000 年前の姶良カルデラ(桜島を含む鹿児島湾北部)の破局噴火である。実は姶良カルデラの火山灰よりも下の層序であることが旧石器時代である目安になっている。姶良カルデラの破局噴火は火砕流が南九州を全滅させ、山口県にも到達し、火山灰は近畿地方どころか関東地方にも達していて、9万年前の阿蘇カルデラ、7,300 年前の鬼界カルデラの破局噴火よりも数倍大きかった。
鹿児島県
- A. 銭亀遺跡(?)30.413778,130.901045
熊毛郡南種子町中之上 - B. 立切遺跡(約35,000年前)30.471555,130.934805
熊毛郡中種子町坂井 - C. 屋久島横峯遺跡(約35,000年前)30.443220,130.873597
熊毛郡南種子町島間 - D. 宮ノ上遺跡(?)31.425000,130.416666
南九州市川辺町大字古殿字宮ノ上 - E. 水迫遺跡(約15,000年前)31.260608,130.597079
指宿市西方 - F. 桐木耳取遺跡(約24,000年前)31.681666,130.937500
曽於市末吉町諏訪方 - G. 上場遺跡(28,000~25,000年前)32.101588,130.477054
出水市上大川内 - Z. 栫ノ原遺跡(旧石器後期~中世)31.420213,130.331100
南さつま市加世田村原 ※2024/01/26 追加
上のリストの中で、屋久島の遺跡が3つを占めるが、旧石器時代には大隅半島から屋久島にかけて巨大な半島(古大隅半島?)が存在していたこと、古大隅半島と宇治群島・草垣群島の間が巨大な湾になっていて東シナ海側からのアクセスが容易だったことを考えると不思議はない。
現在の屋久島は島全体がほぼ山地である。数万年の昔でも天気さえ良ければ遠くからでも良く見えたに違いなく、(丸木舟での?)航海の役に立ったであろう。現在と同じように上昇気流が起きやすくて雨(中国語上古音で「ɦɪuag」)の島でもあったように思える。
伊佐市のある大口盆地は、 29,000 年前の姶良カルデラ破局噴火の際に起きた入戸火砕流により堰き止められた後、3,000 年前に川内川の浸食で排水されるまで湖であった。
F. の桐木耳取遺跡は、縄文時代の有名遺跡である上野原遺跡に近い。姶良カルデラ破局噴火から 5,000 年経過しているとはいえ、桜島や霧島山の噴火の影響もあったであろうに......。
しかし、鹿児島県は、海からのアクセスが良かった割に遺跡が少ないように感じられる。やはり姶良カルデラ破局噴火の影響は大きく、数百年間は食べられる動植物の少ない環境だったのであろう。その上縄文早期の 7,300 年前には鬼界カルデラの破局噴火が起きたので、29,000 年前以降の旧石器遺跡は火砕流に飲み込まれてしまい、今は数メートルのシラス火山灰の下に埋もれているのだろう。
宮崎県
- H. 音明寺第2遺跡(?)32.113333,131.461111
児湯郡新富町新田 - I. 後牟田遺跡(約40,000年前)32.197900,131.530700
児湯郡川南町平田 - G. 山田遺跡(30,000~12,000年前)32.572777,131.579166
延岡市小川町
都城盆地は、約70万年前から3万年前にかけて全体が湖(都城湖)だったそうである。姶良カルデラの破局噴火で湖が全部埋まってしまったという......なんとも凄まじい話である。
熊本県
- K. 石飛分校遺跡 32.138181,130.495658
水俣市石坂川 370-84 - L. 曲野遺跡 32.659000,130.694500
下益城郡松橋町曲野 - M. 狸谷遺跡 32.263700,130.766700
球磨郡山江村大字山田字狸谷 - N. 下城遺跡 33.172400,131.039952
阿蘇郡小国町大字下城字下城 - O. 沈目遺跡(35,000年前)32.698200,130.747399
下益城郡城南町沈目 - P. 石の本遺跡群(約33,000年前)32.838400,130.799100
熊本市東区平山町字石の本ほか
熊本県の西には有明海と八代海がある。当然、最終氷期には陸地になっていた。「水中考古学」が発達すれば、海底から遺跡が見つかるかも知れない。生物も中国大陸系遺存種が多いらしい。
長崎県・佐賀県
- A. 鷹野遺跡 32.824722,130.005000
諌早市津久葉町字鷹野 - B. 入口遺跡 33.340200,129.471900
平戸市山中町 - C. 日ノ岳遺跡 33.375616,129.578727
北松浦郡田平町大久保免字日ノ岳1529ほか - D. 茶園遺跡 32.740800,128.765300
南松浦郡岐宿町 - E. ケイマンゴー遺跡 33.076602,129.710703
西彼杵郡西海町横瀬郷 - F. 野岳遺跡 32.976978,129.982776
大村市東野岳町 - G. 西輪久道遺跡(約30,000年前)32.826388,130.008055
諌早市津久葉町字西輪久道 - H. 福井洞窟(約35,000年前)33.292267,129.696734
佐世保市吉井町福井 - I. 直谷岩陰遺跡(約40,000年前)33.282886,129.699349
佐世保市吉井町直谷 - J. 泉福寺洞窟 33.204430,129.730239
佐世保市瀬戸越1丁目 - K. 竹辺D遺跡 33.199722,129.674999
佐世保市竹辺町 - L. 百花台遺跡群 32.828900,130.291000
南高来郡国見町多以良
- Q. 地蔵平遺跡 33.414166,130.203055
佐賀市富士町大字大野 - R. 白蛇山岩陰遺跡 33.271216,129.831078
伊万里市東山代町大字脇野字岩戸山 - S. 磯道遺跡 33.434809,129.809797
東松浦郡肥前町入野字磯道1151 - T. 平沢良遺跡 33.264165,129.862166
伊万里市二里町大里甲字平沢良 - U. 茶園原遺跡 33.264576,130.098692
多久市多久町字茶園 - V. 多久三年山遺跡 33.259331,130.094319
多久市多久町字宮城
長崎県・佐賀県は、今でこそ狭いが、最終氷期には北~西~南に広大な陸地があった。山には黒曜石の原石もあった。旧石器時代には東アジアの最先端地域だったに違いない。また、五島列島は九州と地続きであった。
大分県
- 1. 丹生遺跡 33.216112,131.704762
大分市丹生 - 2. 聖嶽洞穴遺跡 32.959552,131.785120
佐伯市本匠 - 3. 早水台遺跡(約70,000–80,000年前?)33.355668,131.547530
速見郡日出町川崎 4680-14 - 4. 岩戸遺跡(約20,000年前)32.981944,131.545833
大野郡清川村大字臼尾字岩戸
黒曜石の産地である姫島は、国東半島の北にある。旧石器時代には瀬戸内海が陸地になっていたので歩いて渡れた。
現代では、別府や湯布院が温泉で有名だが、旧石器人は温泉に入ったのだろうか?
福岡県
福岡県は、弥生時代以降と異なって、旧石器時代の遺跡は少ないらしい。それとも水没してしまったのだろうか? 古代祭祀で有名な沖ノ島は、海水位が約 90 m 下がると九州と地続きになる。