狗奴国=江の川流域(江の国)説
最終更新:2024/03/12
狗奴国とは、邪馬台国論争に興味のある人なら誰でも知っているように、魏志倭人伝に出てくる邪馬台国と交戦した国である。読み方は「くなこく」が一般的であるが、それが正しいかどうかは定説が無い。
位置についても邪馬台国自体と同様諸説あるが、邪馬台国北九州説の立場からは狗奴国が熊襲の前身(球磨川流域)、或いは肥後国菊池郡であると考える人が多い。邪馬台国大和説の人は、熊野や濃尾平野、或いは遠く毛野国を狗奴国に比定している。
しかし、私は先人とは異なる説を唱えたいと思う。すなわち狗奴国=江の川流域(「江の国」)説である。
「江の川(ごうのかわ)」とは、島根県江津(ごうつ)市で日本海に注ぐ中国地方最大の川である(下のグーグル・マップ参照)。流域は、大きな平野がないため農業生産力は高くないが、昭和初期までは中国地方の河川交通の大動脈であった。面白いことに、水源は島根・広島県境のずっと南東、安芸高田市や庄原市などの広島県東部(備後国)にある。
魏志東夷伝倭人条、通称「魏志倭人伝」に出てくる地名の読み方を考えるにあたって、中国語音韻史を無視するわけにはいかない。
- 上古音:周代~秦・漢代
- 中古音:南北朝~隋・唐代~宋(趙)
- 近古音:元~明~清
- 現代音:日清戦争以降
ちなみに遣隋使や遣唐使が学んだのは長安の都周辺で話されていた中古音の代表「隋唐音」である。隋唐音は訛って「漢音」として現代日本語の中に保存されている。「呉音」は漢音よりも少し前に日本に入ってきた発音であり、南北朝期の南朝の版図である江南の発音が主体となっているが、故河野六郎教授の研究によると、朝鮮語の影響を受けてから日本語に入ったと見られる発音や、江南以外の地域の発音をも含み、重層的であるらしい。
朝鮮半島西岸にあった楽浪郡や帯方郡の官吏や軍人がどういう中国語を話していたのであろうか? また、少なくとも一部の倭人は中国語を理解していたはずであるが、倭人たちの知っていた中国語がどういう系統のものだったのであろうか?
元産業能率大学教授の安本美典氏は、魏志倭人伝の国名については上古音と中古音の混合であると推定する。しかし私は、中古音の始まった原因が南北朝以降の鮮卑族による中原支配だと考え、後漢~晋にはまだ上古音の一種が話されていたと推定する。わからないのは、上古音に地方差(地域方言)、階級差(階級方言)がどの程度あったかである。文字として記録されるのは都の上層階級の言葉であって、地方の下層階級(文盲であった農民、漁民、下級兵士など)の言葉は記録されない。
学研の「新漢和大字典(普及版)」(藤堂明保・加納喜光編)で「狗」を調べて見ると、
- 上古音:kug
- 中古音:kəu
- 中世音:kəu
- 現代拼音:gŏu
である。「天狗」という熟語が「てんぐ」と読まれることから、上古音語尾の「g」は消えやすかったと考えられる。
次は「奴」である。前述の「新漢和大字典(普及版)」調べて見ると、
- 上古音:nag
- 中古音:no(ndo)
- 中世音:nu
- 現代拼音:nú
である。上古音語尾の「g」は消えやすかったのであろう。「奴」は、従来「な」「の」「ど」「ぬ」と読まれてきた。なお、中古音「ndo」の発音は、漢音として「奴隷」の「ど」という音価で日本語に入った。
「奴」には人を卑しめていう語
(小学館「デジタル大辞泉」)という意味がある。要するに「やつ」「~め」という罵りである。この考え方で魏志倭人伝に出る「狗奴国」などの「●奴国」を敵国と解釈する説もある。
余談だが、漢帝国のライバルであった「匈奴」は、日本では「きょうど」と漢音で読まれる。ただ、この読み方には問題がある。前漢・後漢はまだ上古音の時代なのに「きょうど」では 500 年後の中古音の代表たる隋唐音の「hɪoŋno」を反映してしまうからである。とはいえ、今さら「hɪuŋnag」に変更するわけにも行かないだろう。
安本美典氏は「奴国」の「奴」と異なって、倭人語の格助詞「の」の意味であったと推定している。私は、安本氏の推定を猪突猛進に押し進め、現代中国の「の」という意味の助詞「的(de)」の祖先でもあるのではないかと考えている(「助詞「奴(nag)」の末裔」のページ)。
さて、この地域を狗奴国に比定した他の理由は次の通り。
- 前述のように昭和初期以前は中国地方の交通の要衝であった。逆に言えばここを拠点とすれば西日本の交通を遮断することができた。伊都国のような通商国家(?)にとって、東西交通遮断は相当の打撃になったであろう。
- 三次市の南東のJR福塩線沿線には「甲奴(こうぬ)町」が存在した(平成の大合併により2004年に三次市の一部となった)。
- 1889年(明治22年)から2005年(平成17年)まで甲奴郡が存在した。最初は約30ヶ村、後に合併のため3町(甲奴町、惣領町、上下町)に統合。
- 瀬戸内海側には呉市が存在する。「呉」は「くれ」と読むが、音読みすれば「ご」であり、仮称「江の国」と関連があるかも知れない。更には、邪馬台国時代の倭国に呉人系と越人系という区別があって、江の川流域~呉市あたりが呉人の入植地であったのかも知れない。
- 三次市のある三次盆地は四隅突出型古墳発祥の地であり、広島県で最も古墳が密集する地域である。つまり、古代においては、三次盆地は現広島県の中心地であった。
- 中国地方には、しばしば都怒我阿羅斯等「ツヌガアラシト」や天之日矛・天日槍「アメノヒボコ」と同一視される牛頭天王(ごずてんのう)の伝説がある。また、広島市安佐北区に牛頭山があり、中国浙江省東部にもいくつか牛頭山がある。更に韓国の曽尸茂梨(ソシモリ)が韓国語で「牛頭」の意味だという。何か関連がありそうである。
- 後漢書に「自女王國東度海千餘里至拘奴國、雖皆倭種、而不屬女王」とあるように、狗奴国は卑弥呼が都する邪馬台国よりも東にあると認識されていた(拘奴国=狗奴国と思われる)。
「江津」や「江の川」でネット検索すると、邪馬台国=江津説を主張するページがヒットする。私は前述のように、江の川流域はむしろ狗奴国ではなかという立場であるが、いずれにせよこの地域は日本古代史研究者にもっと注目されて良いと思う。
【2015/12/24追記】
Google MAP を地形表示で見ていたとき、江津市で日本海に注ぐ江の川水系と福山市で瀬戸内海に注ぐ芦田川水系の分水界が広島県府中市上下町上下の平地部にあることに気がついた(上の地図)。普通分水界は山と山を結ぶ山の稜線にあるので、平地に分水界があるのは非常に珍しい。
「峠」ではないから「山」偏が付かなくて「上下」なのか......(^^;;; ここを拠点とするならば、日本海にも瀬戸内海にも舟で兵力を動員できる。しかも、800メートルくらいの運河を掘削すれば、平底舟を引きずる必要さえ無いかも知れない。
なお、分水界については「古代日本と分水界」というページを書いているので、興味があればどうぞ。